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桃林寺開山400年

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県の文化財に指定されている桃林寺が、開山400年を迎えたというので、記念の式典が行われました。
金曜日、仕事で伺ったら檀家のみなさんがお庭に椅子や机など並べていました。
全国の同宗のお坊さんたちが大勢お見えになったようです。
昨夜は市民会館の大ホールで記念公演がありました。
芥川賞作家でお坊さんの玄侑宗久さんをお招きして、タイトルは『牛を桃林の野に放つ』
御詠歌隊の素晴らしい御詠歌から始まって、宗教色一色の滑り出しでした。
1000人の大ホールは聴衆がいっぱいで、前の方のいい席には他県からわざわざお出でになったらしい中年老年の男女がひしめいていました。
玄侑宗久さんの公演は首都圏ではたいそうな人気らしいです。

牛を桃林の野に放つというのは、古い中国の禅の言葉で戦争の放棄を表すのだそうです。
馬は戦場を走るため、牛は武器を運ために飼われていたそうです。
それらを自然の中に返すのは、もう戦いはしないということで平和の象徴なのですって。
桃は無邪気、純真無垢を表すのだそうです。邪鬼に打ち勝つのは無邪気だけ。だから、桃は平和の象徴なのだそうです。
昔中国で、節分に鬼を払うのに村中を桃の枝を引いて回ったそうです。
鬼とは、自分と異なるもの。
違う考えを示したり、自分に害をなすものはみんな鬼だから、鬼はそれぞれの人によって変わり、そこらじゅうにたくさんいる。
頭で考えることは自分の本当の意識ではない。無我の境地になった時に出てくるものが本当の自分なのだそうです。
宗久さんは、その境地に入るのはお経を唱える時だとおっしゃいました。
さっきの文言を考えたり、次の文言を意識したりすると口から出る経が滞る。
私はお経を知らないけど、無我の境地って多分わかる。
中学生の頃、そろばんクラブに入ってい他のですが、みんなで一心不乱に算盤を弾いていた時、たまに自分が無色透明になって風や光や外で野球部の打つバットの音などがただ体を通り抜けて行っているような…不思議な感覚になることがありました。
多分あれが無我の境地。
夜、野原に停めた車の中で横になって月の光を浴びながら風に吹かれている時にも似たような感覚がありました。
自分の中の本当の自分に向き合っていろんな感情やしがらみをリセットすることって、きっと大事なことなのでしょうね。
玄侑宗久さんの声は穏やかで、不思議な目力のある方でした。
お話しは散文的にあちこち飛んでまとまりがなかったのですが、面白かった。
素敵な方でした。
あの声と目と不思議な雰囲気が一般人を惹きつけるのだろうなあと思いました。

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by isozineko | 2014-11-09 09:15 | Trackback | Comments(0)