<   2011年 08月 ( 14 )   > この月の画像一覧

亀さんを拾っちゃった

今朝、路上でカラスが6,7羽何やらつついていました
車に驚いて飛び上がったので見ると、甲羅が12,3センチの山亀さん
カラスは遠巻きに狙っています
急いで捕まえると、亀はけっこうな力で逃げようとじたばたしました
どこかで逃がしてやろうと車に積んでいた発泡スチロールの箱に入れました

平たい甲羅で、首にうっすら緑色の線の入った若いきれいな山亀です
これまでなるのに何年かかっているのでしょうね
どこかの庭で育っていたはずが、どうして道路へ出てきてしまったんでしょう

以前にも、このあたりでバスに踏まれる寸前の山亀を拾ったことがありました
年季の入った硬い甲羅に、車に踏まれて傷ついたらしい亀裂跡がありました
あれは近くの気象台構内の草地に放してやったはず

今度も丁度同じあたりです。あの亀の子どもかなぁ
山亀はそのまま1時間ばかり私の外回りに付き合わされるうち、箱にフンをいっぱいしていました
緑っぽい泥みたいなフンで臭いんです
こんなの飼うのは大変でしょうね
持っていたお弁当の揚げちくわの切れ端をやったらぱくついていました

会社の裏の植栽の中に放してやったけど、元気に生きていけるといいね

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by isozineko | 2011-08-30 13:10 | びっくり! | Trackback | Comments(4)

買うべきか?買わざるべきか?う~ん!

このところずっと安い中古住宅を探していたんですが、建売の新築で手ごろな物件がありました。
それでも予算からはけっこうオーバーします
銀行の借り入れを相談してみたら、不足分を10年の借り入れで毎月3万6千円の返済
それなら今の家賃より安いです
10年は無理でも、あとも5,6年は何かしら働けるでしょう
年金をもらいながら働いた分で返済するのは難しいことではない?

さて、その後、90歳まで生きるとして年金だけで暮らしていけるのか、
それともアパート家賃を払いながら手持ち資金を細く長く食いつなぐほうがいいのだろうか?
家を買えば家賃の支払いはなくなるが、固定資産税が毎年請求されるし
国民健康保険の不動産割り増しが大きい と聞いて役所を訪ねました

不動産取得税は特例措置で大幅に軽減できそうですし、税務申告すれば銀行借入残金の1%が所得税から帰ってくるそうです。しかも10年間。
固定資産税を試算してもらうと、土地の分は最低ライン内で課税0、家の分だけ年間5万円だそうです。
国民健康保険は資産割増し分があって、年間100万円の年金に対して支払額が15万あまり。
残りで暮らすとなると月6.6万円、これで光熱費、食費に医療費、保険料、交際費、家のメンテナンスのすべてをまかなうのは無理でしょう?*8万と思ったら計算ミスで6.6万だった!ショック!
貯金がなくては、旅行はおろかいざというときの病院代にも困る。
老人一人世帯の公営住宅はほとんどないに等しい
で、今のままの家賃を90歳まで払い続けたとして、合計1440万。
どっちにしても大変なことは一緒です。
同じ年金オンリーになるなら、家があった方が将来売るなり貸すなりして多少取り戻すことは可能かしら?
散々頭を悩ませた挙句、結論が出ません。
一応平均年齢以上は生きるつもりだけど…どうしたらいいでしょう。
もうひとつの選択肢として、
長男に、将来同居を視野に、沖縄本島での家作りを投げてみました。
嫁にとってうるさい姑にはならないつもりなのですけどね。
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by isozineko | 2011-08-26 18:25 | こころもよう | Trackback | Comments(8)

思い出~私を育てた一言

他所さんのブログから、中学時代の出来事を思い出しました。
コメントに書いただけでなく自分のところにも残さなくては…と思ったので追記しておきます。

何かを好きになったりその道に進んだりするきっかけが、教師の何気ない一言だったというのはままあることです。

エピソード1
 中学1年の図工の授業で、校庭の写生がありました。
私は大雑把に当たりをつけて色を塗るのが苦手で、エンピツで細かいデッサンをしてしまいました。
時間内で他の生徒は色を塗って仕上がっていたのに、私のはエンピツ画だけで色を塗る暇がない。
授業の目的からは外れていたのに、先生は私の画をほめてくださって、「そのままでいい。色を塗ってはもったいない」とおっしゃいました。
あれから図工の時間が好きになって、高校では芸術科目は美術を選択し、エンピツデッサンが得意でした。
美術全般に興味も出て、学生時代には美術館へもよく行きました。
今でも上京して暇ができると、上野の森に足が向きます。
思い起こすとそういうことってほかにもいろいろあります。
基本にあるのは、画一でなく1人1人を良く見て、特性を認め褒めて伸ばすということなんでしょうね。
子育てにも言えるし、日本校を引っ張る校長に求めることもそれかしら。

エピソード2
小学3、4年生の頃、学校で書いた詩が郡のコンクールで特選に入り地方新聞に掲載されたことがあって、国語が得意な小学生でした。
室生犀星や石川啄木の詩が好きで、6年生の時には昼休みに一人教室で万葉集の和歌などを諳んじたりするマセタ子どもでした。
特に頭が良い訳ではなかったけれど、地域では進学校だった高校に入りました。
前身は父や祖父が通った旧制の中学校で男子が多く、女子はクラスの3分の1程度でした。
高校1年のときの現代国語の先生は、声の優しい独身の男性教師でした。
先生が読む三好達治や萩原朔太郎の詩がステキで、近代詩が好きになったのはこのころです。
新学期間もないころの授業で、詩の解釈を習い、高村光太郎の詩『道程』の解釈が宿題に出されました。
  僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる…というあの詩です。
次の授業のとき、先生は私の解釈をみんなの前で読み上げて、「この解釈はすばらしい。私のよりずっといい」というようなことをおっしゃいました。
うれしくて誇らしくて、この先生の授業が大好きになりました。
褒めてもらった評価を落としたくなくて、国語だけはけっこうがんばっていつもよい点を取りました。
あの頃、国語をしっかり勉強したことが、その後とても役に立ったと思います。

ブログは私の日記で、生きた証ですから、昔の出来事を思い出したときに書いておこうと思います。
現役時代は怖い教師だったと評判の姑が、晩年にいろいろな昔話を聞かせてくれました。
死期を悟った潜在意識のなせる業だったのかもしれません。
生徒とのエピソードや戦前戦中の教育界のこと、舅が教育事務所勤務時代の沖縄の教育活動など興味深い話がたくさんありました。
書き物の好きな姑で、家族の歴史も書きかけていましたから、ご自分の経験もぜひ書いて残してくださいとお願いしましたが、そんな余裕もないほどにあっけなく逝ってしまいました。
姑が残したたくさんの資料は、家族にとっても貴重な財産だったはずですが、全部、興味もなかった長男のところに運ばれ、自宅庭に設置した倉庫に詰め込まれました。
東京時代に私がせっせと書き送った子どもたちの成長記録の手紙の束もありました。
返して欲しいとお願いしましたが、そのまま長男宅に送られそれきりです。
どれも日の目も見ないまま、おそらく湿気でだめになっているでしょう。
姑が語った諸々も、今では小さな断片しか思い出せません。
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by isozineko | 2011-08-26 12:40 | 昔語り | Trackback | Comments(5)

あっという間に5日たち…

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       5時前の石垣島市街地上空。手前の赤い屋根群は八島小学校です。

19日に帰島、20日から仕事で、23日にはまた日帰りで那覇
ゆっくり実家の思い出に浸る間もないほどの忙しい5日間でした。
写真もたくさん撮ったのにまだゆっくり見ている暇がありません。
21日の日曜日、実家の母に電話しました
私が帰った翌日から雨が降り急に涼しくなって秋の気配だそうです
晴天続きで乾いていた畑にもよいお湿りだとか
張り切ってねぎを植えたり、草を引いたりして肩が痛んでいるとか
明日には病院へ行って来るとのことでした
我慢強い母が痛いというのですから、だいぶ無理をしてしまったのでしょう
11月初めに上の妹の長女の結婚式があるのでまたみんなに会えます
2ヶ月なんて直だよね、それまで元気でいてねと話しました

あっという間に過ぎたお盆休み
あまりに簡単に日々の忙しさの中へ戻ってしまったせいか
ホントのところ夢だったような気さえします
朝7時に起きて、夜はTVの前で12時1時まですごす日々が当たり前になりました

この数日で変わったと感じること
日没の時間が遅いなあと思う 8時を廻ってもまだ明るい
出来合いの弁当が味気なくて、美味しいご飯が懐かしいこと
母の畑にはナスやピ-マン、インゲンやへチマまで実っていました
畑で採りたての野菜を食べる暮らしの後、スーパーの惣菜や弁当に戻るのは味気ないです
料理は嫌いじゃないけど、自分1人前を作るのはおっくうです
鍋に残った味噌汁も半日で泡を吹く暑さだし、
何よりコンロのそばで10分も動けば滝のような汗が顔から首から滴り落ちます
誰かに食べさすためでなきゃ料理なんてしてられない
まあ、半分以上はいい訳ですけどね
そんな訳で、仕事が終わって家に帰ると外回りの暑さ負けも重なってぐったりしています
こっちも少し涼しくなればいいのに、毎日33度、雨も降らずひたすら暑い
26日から夜間断水に突入だそうです やれやれ
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by isozineko | 2011-08-24 18:06 | 日記 | Trackback | Comments(3)

帰ってきました & 欲張りばあちゃん

19日夕方、石垣に帰ってきました。
那覇空港では到着便遅れのため予定の飛行機が変わると言うアナウンス
小さい飛行機になりましたが、客席は3分の1もいない状況でガラガラ
夏休みも終盤で客足は遠のき、お盆が終わったせいもあるのでしょう
察するに到着遅れではなくて、大きい飛行機では採算が合わないので小さい機材にしたんでしょう
更に空港混雑のため出発待ちとかで、滑走路手前に止まったまま離陸が30分も遅れました

家の前の植栽の鉢植えはみんな元気で、アジサイの小さな花も咲いていました。
お隣の大家さんの奥さんが、毎朝水遣りをしてくれたみたいです。
家の中の鉢植えは、ビニール袋で鉢を包んでおいたので蒸発が少なくて済みました。
ベランダのプランターはちょっと元気がなかったけど、
途中多少の雨があったそうで何とか生き延びていました。

着替えの入ったトランクを担いで、締め切っていた二階に上がっただけで汗が噴出しました
雨でも降ったら乾かないと思って、着替えは薄地を4組、ズボンとスカート各1着だけです
ところが毎日上天気で洗濯物は昼には乾いたし、暑くてノースリーブしか着なかったのです
無駄になった着替えと、友人たちにいただいたお土産2つで、荷は軽かったのですが
暑いのなんの、東京も暑かったけどやっぱり暑さの質が違います
階段を2階へ上がっただけなのに顔中汗が流れてポタポタ落ちました
薄いシャツが肌に張り付いてどこも乾いたところがありません
そうだよこの暑さが沖縄だよと思いながら
急いで水のシャワーを浴び、荷を解くうちに午後7時を回りました

実家では外は日が沈んで暗くなっており、そろそろ夕飯も済んだころです
こちらではまだ太陽が沈んでいません、日没は19時15分
日本列島は長いなあと思います
そういえば実家では朝は5時前から明るくなって寝ていられなかったっけ
毎日早寝早起きで3食おやつ付きでした。
料理番とおしゃべりで大方の時間がつぶれ、買出し以外にたいした仕事もなく
休みなく胃袋を働かせていたのに体重が変わっていませんでした なぜ??

そうそう、ニャンコは向かいのおばさんが面倒を見てくれて元気でした
預けておいたご飯も大方食べたようです
扇風機に当たって一休みしていると、帰ってきたの?と言う顔でどこかから現われました
しばらくこちらを見ていて、擦り寄るかと思えばいつの間にかまたどこかへ出て行きました
夜にはしっかり私のおなかに乗ってきて、撫でろと催促していました
この気まぐれがニャンコの可愛いところです
朝には私の左腕に寄り添うようにして寝ていました
そっち側は扇風機の風が当たるんです。お邪魔虫め!


実家での笑い話をひとつ

お土産に生のパインとマンゴーを8個ずつ送ったのでした
いつも両隣と母の姉たちにあいさつ回りをしてパインを1個ずつ配っています
今年はマンゴーも珍しくて喜ぶだろうと思って多めに送ったんです
それが5日前に早々と届いてしまい、もう残っていないだろうとマンゴーを3つ追加で持参しました
いつものかまぼこや生そばも持参して冷蔵庫に入れようと開けてびっくり、
野菜室に入りきれないマンゴーがごろごろころがっています
なんと、おばあちゃんが欲張りをしたそうなんです
痛みかけたのを1個食べたらあまりにおいしくて、どこへもやらずにみんな食べようって

おばあちゃんは食が細くてご飯だって茶碗に半分がやっとです
おかずなんて私の二口分くらいしか食べないんです
それがなんとずしりと大きい8個のマンゴーをみんな自分たちで食べようと言うんですから…
大好きなパインは手付かずで縁側に箱入りで置いてありました
おばさん方にはパインと一緒に送ったシークワーサを分配して、
後から持参したのと合わせて11個のマンゴーは毎日朝昼のデザートになりました
北海道から届いたのを転送したメロンが5個と大きなスイカもあったのです
おばあちゃんの満足そうな顔ったら…
それにしても、とんだ欲張りばあちゃんを露呈したものです
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by isozineko | 2011-08-20 17:54 | びっくり! | Trackback | Comments(7)

那覇まで帰って来ました


18日9:30実家を後にして帰って来ました。
上の妹が駅まで送ってくれました。
薄緑だった稲田もこの1週間で耕地中黄金色に実り、もう稲刈りが始まっていました。
日に日に稲穂の色が変わり、山裾の緑に縁られてとても美しかったです。

上野で友人に会い楽しい一時を過ごし、飛行機を1便遅らせるハプニング付きで、那覇空港についたのは8時前、長男一家が迎えに来ていました。
お土産に送っておいた九十九里の干物魚が届いていて子供らで分配しました。
今夜は娘の家に泊まって、明日は石垣まで帰ります。

おばあちゃんが名残惜しがるほど長い夏休みでした。
妹も元気そうだったし、ゆっくり命の洗濯ができました。
家に残したにゃんこは元気かしら?
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by isozineko | 2011-08-19 00:35 | Trackback | Comments(4)

今日は送り日

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普段年寄り2人暮らしの実家に娘3人、婿に孫まで来て家族7人、賑やかなお盆休みだった。

みんなそれぞれに持ち寄った土産が、お国柄色々で秋田の大玉スイカや十勝メロン、沖縄のマンゴーにパインと勢ぞろいしたうえ地物の梨にブドウと盛りだくさん。
メロンは私の出掛けに嫁の実家から届いたのを、そのまま転送した。

母の畑には丹精した野菜がいっぱい。
もぎたてをふんだんに使って、料理は私と上の妹の担当。
毎日豪華メニューがテーブルいっぱい並んだ。

昔、女ばかり産んで肩身の狭かった母は、女の子で良かったと満足げ。
3人娘がそろって母方の叔母宅をあいさつに回ったら、みなさん喜んでくれた。

今日、昼過ぎに下の妹と婿が帰り少し寂しくなった。
昼過ぎ川崎から末娘が来て、おばあちゃんたちはまた元気になった。

今日はお盆最終日で、夕方にはまた提灯を灯してご先祖様をお墓に送って行く。
仏壇の飾りものもお墓に持って行きます。
提灯の火で線香を炊きご先祖様を無事送り届けたら、蝋燭の火を消し提灯を畳んで帰ります。

娘は明日帰ります。
私は18日、夏休みの妹は最後の19日に帰るそうです。
明後日にはみんな帰ってしまうとおばあちゃんは寂しがりますが、みんながそろったお盆がそれだけ楽しかったってことでしょう。

作業場の前の物干し場の向こうは屋敷畑です。
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by isozineko | 2011-08-16 23:30 | Trackback | Comments(6)

実家のお盆に来ました


13日実家のお盆に来ました。
去年の父の1周忌以来です。
沖縄に行ってから30年、お盆休みに実家に行く機会はありませんでした。
夏は航空運賃がやたら高いし、子ども達が小さいころは家族連れては動けませんし、仕事をしているとなかなか長期の休みが取れなかったので…。
みんな独立して、仕事も一段落、職場に多少の気兼ねがないわけでもないが、父の3年忌でもあるし…
ようやく里のお盆に参加できたんです。
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2人の妹たちも来て3姉妹揃って13日夕方、お墓にご先祖をお迎えに行きました。
墓石の前で線香を上げ、蝋燭を灯し家紋入りの提灯に移して、ご先祖様行きますよと声をかけます。
提灯を先頭に帰って来て玄関から入れて仏壇の蝋燭に火を移します。

仏壇は花ゃ赤ホウズキ御幣の紙などできれいに飾り付けた注連縄をはります。
みんなが持参の果物やお菓子などのお供え物がいっぱい。
1年で一番仏壇が賑やかです。

子どものころは親戚の叔父叔母がいとこたちを連れて来て、花火やお化け大会をにぎやかにしたんです。
今は大人ばかり。

家は150年もたつ昔ながらの大きな家ですが、あちこち手を入れてだいぶ住みやすくなっています。

帰りは18日、ゆっくり親孝行して行きます。
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by isozineko | 2011-08-15 11:37 | Trackback | Comments(3)

挫折禁止

息子との話をブログで愚痴ってしまったが、心優しい方々からいろいろご意見をいただいた。
私の付き合いの狭いブログでは初めてではないかと思うくらいたくさんののやり取りがあった。
こんな小さな個人ブログでさえ、ああだこうだと話が広がるのだから、
世の中にはほんとに掃いて捨てるほどの家族親戚問題があるのだとうなづける。
それぞれ風習も環境も違うのだし、個人の考え方なんてそれこそ100人100様なのだから
ひと括りにこうすればいいと言う妙案もない
まじめに向き合って、時には目をつぶってみない振りをして、丁度いいところを探すしかないのだろうと思う。
コメントをいただいた皆さん、ありがとうございました。
ずいぶん参考になりました。

さて、昨日、交差点の信号待ちで目の前にいた車の後部にこんなステッカー

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左折禁止ならぬ挫折禁止!
おもわず クスリ
でも、そうよね、何があっても生きていくことに挫折はしない。
1歩ずつでも歩くことを止めなければ、大抵のことはきっと何とかなるはず。

明日からしばらく実家のお盆に行ってきます。
父の3年忌でもあるし、大手術を乗り越えた妹の元気な顔も見てきたいしね。
記事はケータイでアップできるけど、コメントのお返事は帰ってからさせていただきます。
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by isozineko | 2011-08-11 12:47 | こころもよう | Trackback | Comments(6)

台風一過の顛末

台風が去って、日中の暑さが戻ってきました。
まだ、風が少しあるので、夜は窓を開けておけばけっこう涼しく眠れます。
9号の直撃を受けた沖縄本島では、停滞迷走した後時速10キロののろのろ台風のおかげで、各地で土砂崩れや洪水があったようです。
沖縄本島は景色の良いなだらかな平地は米軍基地が陣取っていますから、残された使い勝手の悪い土地に一般住民が住んでいる傾向にあります。
地形が悪いうえに、道路も整備されていなくて筋道がいっぱいだし坂も多いのです。
そんなところに造成して家を作っていますから、大雨が降ると大変です。
娘のところも道路が入り組んでいて、行き止まりもあるし散歩に出ると迷子になりそうな土地です。
今回は雨がひどくて、土砂崩れや暴風の影響で停電の復旧が進まなかったようです。
台風が居座ったおかげで1日停電したのだそうで、IHのキッチンはお手上げ状態。
カセットコンロでしのいだと言っていました。
学校や保育所も休みになるし、商店も開かない。
普段からTVゲームやDVDで間を持たせている子どもらの気を紛らわす手段がない。
締め切って暑いのにクーラーは使えないしで大変だったとこぼしていました。
こんなときこそ親子のふれあいができるってものです。
電気を使わない遊びや、昔話を聞かせたり本を読んでやったり、室内で間を持たせる手段はいくらでもあると思うのですが…
子どものほうがそういうものに慣れていないのかもしれません。
停電も復旧して普段の生活が戻ったようです。

ようやく飛行機が飛んで、空港でくたびれていた観光客も帰れたようです。
石垣が晴れていても、到着地が台風では飛行機は着陸できませんから欠航になります。
沖縄本島が閉鎖解除にならないと、どんなに天気が良くても石垣から出られないと言うことになるわけです。人間のほうは週末から乗れて良かったのですが、航空荷物が滞っています。
飛行機は小さいので、総重量に懸かる荷物の割合が決まっているんです。
台風後は、更に待ちくたびれた人間のキャンセル待ち対応が最優先です。
台風のたびに荷物の引き受け停止と遅延がおきてしまいます。

昨日、実家のお盆用とお土産の先渡しでパインやマンゴーを送ろうとしたら、郵便局でチルドの受付をしてもらえませんでした。
台風前に積み残した荷物がある上、出荷待ちで農協も漁協も冷蔵庫が満杯で、預かっても保管場所がないのだそうです。
普通小包も2,3日遅れを承知で出して欲しいと言われました。
日数がかかったために生ものが悪くなっても保障はできないと言うことです。
持ち帰っても状況は同じなので、普通便でお願いしてきました。
石垣は風の影響もあまりなかったので、最盛期のパイン、マンゴー農家の被害が少なくてやれやれですが、輸送に問題がありました。
今、石垣新空港の建設が急ピッチで進んでいます。
大型機が飛ぶようになれば、荷物の積み残しが少なくなるでしょう。
でも、観光客数の減少が言われている状況で、荷物も少ない時期にはガラガラの大形飛行機の維持費が心配です。

追記
8月9日 郵便小包は沖縄本島も千葉のほうも届いたと連絡がありました。
お盆の13日に行く予定なのにお土産だけが、5日も先に届いてしまいました。
痛まないうちでよかったです。でも、私が着く頃には残っていないかも?
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by isozineko | 2011-08-08 14:00 | 季節便り | Trackback | Comments(2)